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sonic&trip-「AKIRAの文学音楽」

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2010年 05月 13日

見たい未来/よりよい暮らし

明日はライブ。

2010年5月13日(木)@渋谷o-nest"MARUYAMA SONGS"
出演:sonic&trip/グリンフィールドのアフターダーク/bugfics/クラモトイッセイ
■open/start 18:30 / 19:00
■adv/doorv ¥2,000 / ¥2,500
sonic&tripは二番目、19:40くらいから〜の出演予定です。

今日は寒かった。
漠然とこんなことを考えた。

人類は、争い、競い合う時代から、きっといつか、みんなでこの星全体で共生していくことに集中せざるをえない時代になっていくのじゃないかって。
地球という星が滅びないように。
自分たちの子供の時代にもちゃんと太陽が昇る世界であるように。

インターネットによってグローバル化はとんでもない速度で進んだ。
いや、進んだというより、ある日突然僕らの前に開けた、といってもいいほどだった。
携帯電話もインターネットも突如現れて、それを体験した途端、何もかもが変わった。

ここ何年かで「地球人」とか言われていて、それは色んなケースで用いられるけれど、初め僕はその言葉にグローバル化が無理矢理に押し進めていく暴力性ばかり、軽薄さばかりが鼻につくようで、なんだそれ、って僕はその言葉が出るたびに心を閉ざしていたけど、考えてみればその通りで、僕は地球人であり、いつかもっともっと、「自分という人間は地球人である」ことに気づかされる時代が、やがて来ると思う。

僕は地球人であり、日本人であり、東京都民、世田谷区民であり、生まれた家族の一員である。
そのことをはっきり意識していく。

そうなった時、やはり個人の意識、ルーツ、個人の道徳が何よりも大切になると思う。

街から国へ、国から世界へ、と集団の規模が大きくなればなるほど、その集団がいかに良い方向に機能するかは、個人の倫理にかかってくる。

立派な人格なくして、そういった時代を平和にすることは不可能だ。
弱い人を守らなければいけない。

権力やお金というものは、強いものから弱いものへ、一方通行にしかいかないものである。
それは時に暴力的に働く危険なものだ。
何も反論できない動物や植物を、僕達は平気でどんどん奪ってきた。
僕はそのことを、誰か他の人がやっていることだと思っていた。
いけないことだとは思うけど、どうしようもない、しょうがないこととも思った。
僕は無関心だと言っていい。

「これから本当に地球を救うのなら、まず誰かがお金をその為に出さなくちゃいけない。」

東京新聞に書かれていた宮崎駿さんの言葉だ。

詳しくは書かれていなかったけれど、その記事から、彼は自然を保護するなら、誰かが自然を買わなければいけない。そしてそれは自分のものに所有するということではなく、責任を持って自分で自然を保護していかなければならない、ということだと僕は思った。

そして宮崎さんはトトロの森の一部を買ったそうだ。自分の近くの300メートル以内を地域の人と協力して守っていけば、必ず地球は変わる、と言及している。

宮崎さんのような高い人徳のある人が、こういった行動を真剣に考えて、実行に移していることに僕は、今の僕にできることはそのことについて、じっくりこれから考えていこうということだった。

僕が将来、世の中に大きな形で関わり合い、何かできるようになったとき、何に着眼して、何をするか。それが自分にとって、地球にとって重要だと思う。

平和というものの中に「自然と共に生きる」ということがあるとして、人類はもう随分、自然から離れたところに来てしまった。僕は昔、ボーイスカウトのキャンプとかに行って、自然の厳しさに、自分の無力さと情けなさに打ちのめされたタイプだ。仕方ない。僕は都会でしか生活していなかったから当たり前だ。

でも、そういう時に漠然と感じたのは、「平和」というものは自然の厳しさと同じくらい、厳しいものだという自覚、自然への畏怖だった。

「平和」と、「快適で安全」はイコールではない。人間は何かを損なうことで、それを手にしている場合が多い。現に虫とか植物、海といったものを犠牲にしている。
それは作られた快適であり、作られた安全だ。
そして自然は他者ではない。自然は自分自身でもある。

僕達はきっと自分たちの未来を、自分たちの次の世代、子供達を、もうすでに犠牲にし始めている。その結果がまだ表出していないだけなのだ。

by sonic-trip | 2010-05-13 02:39


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